なぜ世界は存在しないのか – だけど月面の一角獣は存在する、と。

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なぜ世界は存在しないのか / マルクス・ガブリエル / 清水一浩訳 / 講談社選書メチエ / 1850円+税
装幀者 奥定泰之
Warum es die welt nicht gibt by Markus Gabriel 2013

Web や NHK で紹介されていて興味を持った哲学者の本。特に「月面に棲む一角獣は存在しても、世界は存在しない」という主張には驚きました。まんまと引っかかったわけですが…。

で、なぜ世界は存在しないの?

種明かしをすれば、ここで言う「世界」も「存在」も彼の定義によるものだということ。

まず「存在」は、物理的に何らかの「モノ」がそこにあることを指す形而上学的、自然科学的な「存在」ではなく、その「モノ」を「モノ」として定義できるような「意味の場」という背景の上に表象してくること、と定義。したがって「月面に棲む一角獣」も自然科学的には存在しないが、タニス・リーとかの描くファンタジーを対象領域とする「意味の場」であれば存在することになります。

そして「世界」は「すべての意味の場の意味の場」であると定義します。「意味の場」自体も存在するに当たっては別の「意味の場」の中に表象するしかなく、結果、無限ループが生じますが、それはそれで構わない。なぜならその全体を覆う「世界」を定義しているから。なお「世界」が「存在する」と、その「世界」が表象するための「意味の場」が必要となり、これは最初の世界の定義、「すべての意味の場の意味の場」に矛盾するので、「世界」は「存在しない」、となります。

宗教についても同様で、「神」の存在は世界が存在しないのと同じ理由で否定され、宗教は、無限なものと人間との関係性の中で捉え直されます(シュライアーマッハー『宗教について』が引用されますが、これは面白そう)。

何かうまく騙された感じがしますね。

自然科学主義の否定

本書では、哲学の従来の考え方、例えば世界全体を説明しようとする形而上学(英語で metaphisicsというのを知り驚きました。絶対誤訳してたな…)や、事実は存在せず、すべてが人間の感覚器官が生んだものだとする構築主義が否定されます。

否定に当たって持ち出される人間的な視点や常識は、私には好ましいものに思えます。「木を見て森を見ず」のように、元々は人間性の研究だったはずの「哲学」が、微に入り細に入りの議論の末に、トンチンカンな考え方に到達してしまっているようです(あくまで筆者の紹介ですが)。

一方、これらと並んで、すべてを素粒子やニューロンに帰着させるという自然科学主義も槍玉に挙がります。自然科学主義を突き詰めると我々は宇宙の中の微小な生き物となってしまうが、そうなったときに「私の人生」や「人間性」はどこに行くのか? とガブリエルは問うわけです。

これに対する私の答えは「いや、そんな議論、今してないし…」と言ったところです。人生や宇宙や世の中のすべてを対象領域として考えようとするのは哲学者であって、自然科学者は対象領域を絞った議論をしている。人間の感覚を無視する形而上学や、事実を無視する構築主義と、並べられるものではない、と思います。

きちんと書かれているのはよかった

学生時代に読んだウィトゲンシュタインの本とかどれもぐにゃぐにゃしてて、さっぱり要領を得なかったので今回の「哲学」の本もちょっと警戒していました。 今、思い返すにあれは翻訳が悪かったのかも。

確かにすらすら読める内容ではありませんし、文章に引っかかる所も多数ありましたが、たとえ話や思考実験、繰り返される説明、用語集や原註、詳細で丁寧な訳者補筆により、考えて読めば著者の主張を理解できる作りになっていました。その点ではよくできた本だと思います。また、哲学の他フィールドへの入り口としても良いガイドになっています。

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