星を追う子ども
監督、脚本: 新海誠
出演: 金元寿子、入野自由、井上和彦
※ 数本まとめて観た全体の流れはこちら
何となく観始めたら、想像の斜め45度を進む展開にただただ驚いた作品です。
最初は明日菜の不幸な展開を想像しました。お母さんが帰宅していると思ったのに電気の消し忘れでがっかりするあたりの喪失感とか典型的で、明るく気丈な分、寂しさが増します。シュンに対する恋心も純な感じで似合っていましたね。
が、線路の上の「熊」が化物と分かってからの、唐突な「ムー」展開には、ええっ!!と驚くばかり。その後も別世界が別世界として描かれ、村の描写はナウシカ。思えばキャラも「ジブリの女の子」だし、表情のあるペットまでいる。背景の描写も動きもジブリ風、地下からの「夷族」の出現シーンは「カリオストロの城」を思い出すし、ケツァルトルは巨神兵っぽい。いままでなぜ新海誠を「宮﨑駿の後継」と呼ぶのか不思議だったのですが、これなら分からないでもありません(ただ他の作品を見ると本質はまったく違うと思います)。
中盤以降は森崎のリサを思う気持ちで引っ張られ、一方、明日菜の動機にシュンの再生を願う気持ちがさほど感じられず、説明不足を感じていたところへ旅自体を楽しんでいることが明かされ驚きます。伏線だったのかぁ、前半の孤独感は。
そしてラスト。森崎はリサト出会って別れ、アガルタに残るし、明日菜はシンをシュンの代替にしない。うーん、難しい話をよくまとめたなぁ。
考えるにこの作品は、新海誠が大規模長編作品を作るのが目的の一つだったんじゃないかと。大勢のスタッフとともに2時間長編を作る。ちょうど漫画家の古屋兎丸が、「週刊誌連載も経験しておいたほうがいいですよ」という編集者の声に従い、いつもなら最後まで見通した上でネームを作成し作画に入るところを、毎週毎週の流れで「π」を描いていったような。
「君の名は。」にはこの「星を追う子ども」での経験が活きているのでしょう。それは作画にあえてタッチしなかった点から伺えます。時間的、予算的な制約の中、どうやったら効率的に大勢のスタッフを動かし、自分は演出に集中するのかチャレンジしてみたかったのかな、と。
結果、たとえば「君の名は。」の東京や電車の描写は「言の葉の庭」で見せた濃密な描写から一段、落とした感じですが、それは別に手を抜いたとかでなく、長編の中でこった絵作りを見せ続ける意味が映画的にも、予算的にもなかったからではないかと推測しています。
あと分かりやすいところで、ご神体の様子とその途中で川を渡るシーンはまんまアガルタ。新海誠ファンは内心笑ってたかと思うと、悔しいな。