あいどる

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あいどる / ウィリアム・ギブスン / 浅倉久志訳 / 角川書店 / 1900円+税
カバー写真 女性:(C)ZEN PRESS / 風景:(C)大倉乾吾作(提供世界文化フォト)
IDORU by William Gibson (1996)

レイニーはネット上で個人情報を収集するスリット・スキャン社を退社後、東京でロックバンド「ロー/レズ」関係者の面接を受ける。「ロー/レズ」のファンであるチアはネット上に流れる噂「レズが仮想アイドル投影麗と結婚する」の真偽を確かめるためシアトルから東京に来る。

レイニーとチアの二つの話しが交差しながら展開しますが、それほど凝った構成でなく、逆にギブスンの長編にしては珍しいくらいストレートな話し。ライトノベルでも十分ありな内容です。全体の肌触りも前作「ヴァーチャル・ライト」の橋のイメージがどうしても像を結ばずイライラのし通しだった事を考えると、今回の東京と電脳空間は、私の日常ということもあって100倍くらいすっきりしています。しかしその分、驚きや憧れの描写は少なく、終わってみればごく普通の、良くも悪くもない読後感です。

本作の舞台は東京。よほどのプルーフリーダーが付いているのか、取材が完璧なのか、その描写やガジェットの扱いに外しは全くありませんでした。日本の音楽の歴史や土地の様子(ゴールデン街は笑ったけど)、なかなか主題に入らず延々と組織の紹介から入るミーティングや、仮想アイドルを人として扱う姿勢、裏に技術者が控えるディナー、ボタンのいっぱい付いたトイレ等々。たまたま読書中に新宿駅の半地下や、渋谷駅の「初音ミク X HMO X パルコ」巨大ポスターを目の当たりにし、本の世界が飛び出したような錯覚を一瞬覚えた、覚えられたのは嬉しい体験でした。

逆にもう一つの舞台のネット。ハッカーが何でもかんでも見つけてしまう映画や小説と違い、活動のない人には情報がなかったり、あるいは生きて活動している人は混沌とした個人情報を生み続け、死んだ瞬間に情報は固定化され、直線的になり、消えていくなど素敵です。投影麗の造形も、あまり出さない、見せない点がよかったと思います。
が、1997年の翻訳出版直後に買いながら今まで放っておいた罪は大きく、せっかくの凄いアイデア、たとえばデータのないレズに対して、取り巻くファン層から情報を紡ぎ出すなんて、現在のメタ情報の固まりのようなネットではとても当たり前で新規性を感じられず、またアイフォーンとゴーグルとフィンガーチップなどのガジェットにも古くささを感じました。これなら「ニューロマンサー」のプラグのジャックインの方がかっこいいですね。

 

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