異邦人 – それは太陽のせい

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異邦人 / カミュ / 窪田啓作訳 / 新潮文庫 / 432円
L’Étranger by Camus, 1942

ムルソーは養老院で死んだ母親の葬式を行った翌日からマリイとの恋、仕事、近所付き合いと生活を続けていく。新しい仲間レエモンがアラビア人の恋人と揉め事を起こし、ムルソーも巻き込まれる。

小説の背景として印象的なのが暑さや日差しや熱。冒頭のマランゴの通夜のシーン、マリーとの海水浴、レエモンの友人のヴィラ、アラビア人とのやり取り、裁判等々。殺人の動機を聞かれ「太陽のせい」と答えるシーンはそれまでの作者が丹念に描写を続けた結果で、「あー、絶対そうだよな」と非常な説得力のあるものでした。殺人がどうの、争いがどうのでなく、単純に冷たく清潔な泉に近づきたかっただけなんですよね、ムルソーは。

結局全編を通して同様の主題が繰り返されているように感じます。熱気があり華やかで一般人の考える日常と、そうでない部分を指向する異邦人。ムルソーがその一般人の中でどのように翻弄され、最期、その逆の冷たい夜や夕暮れに自分の居場所を見つけるか。

裁判所のシーンや独房のシーンが顕著です。うだるような暑さの中、延々と常識人の議論が繰り返されます。彼らは実際はお互いどおしも知り合いで裁判の前には会話をするような仲間で、ムルソーだけが一人ぽつねんといます。彼が裁判から抜けられるのは、日の落ちた午後の判決。独房でも石の壁にマリイを始め有意を見出そうとしますし、新しい法律や脱走まで夢見ますが、結局はそれもすべて無となり、神をも否定します。

恐らく母親も同様の人間だったのでしょう。それまで「自分より不幸なものがいる」、「完全に不幸になることはない」と、他者との不幸の比較のみで生きてきた母親。親不孝に見える養老院送りも、本当に金銭的な納得ずくの理由だったのかもしれません。

ただ彼女の性格として「婚約者」がいたことがムルソーには解せません。何故なのか? と。実はこの質問が、そのまま海水浴に行き、新しい恋人を作る翌日の行動につながっている気がします。

通常であれば一日中家にこもって下の通りを眺め翌日の出勤を憂うる彼です。悲しみを振り払うために外出したとは思えません。自分と似た性格の母親が何故、そんな行動を取るのか理解できず、無意識のうちにマリイを求めたり、それまで交渉のなかった同じアパルトメントの俗人たちと声を交わし、付き合ってみたのではないでしょうか。

母親の通夜を老人らと過ごしたことは残念でした。もしも想像だけでしか描けなかった涼しく清潔なマランゴの夕暮れをペレーズ氏と歩ければ、あるいは物語中での少ない理解者である器械じかけの女か、若い新聞記者(恐らく彼らは報道によりムルソーの行動に共感する部分があったのでしょう、少なくとも太陽のせいにしたとき、笑わなかったと思います)と会話できていたら、母親が人生の終盤、自己肯定感と共に心を開いた友ができていたのと同じことが、独房で気づくよりも前に起きたのではないかと、少なくとも殺人はなかったのではと思います。

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