本の雑誌 2016年6月号 (No.396) / 本の雑誌社 / 667円 + 税
表紙デザイン 和田誠 / 表紙イラスト 沢野ひとし
冒頭の「本棚が見たい!」はいつも楽しみなページですが、一つ残念なのは、本の背表紙のタイトルが読めそうで読めないこと。きっと意図したものなのだろう、特に、個人の書棚の場合、あまり詮索されたくないのだろう、とこれまで固く信じていました。読めたらきっと楽しいだろうなぁ …。で、今日偶然(でもないか…)メガネを外して目を近づけたら、ばっちり読めました。老眼…。最近、文庫がキツイからな。こんな時が来るなんて、あぁ…。
特集は「人の本は汚すな! 本の読み方四十八手!?」
私には人に本を貸して嫌な思いをした記憶が3回あります。
1回目は小学校1、2年の頃。単行本の『ドラえもん』(1)(2)(3)を友達に貸したら、数人に回された挙句、カバーが外れた状態で返ってきました。当然、最期に返してくれた友人を問い詰めましたが最初からなかったとの返事。そこから元までたどる気にもならず泣き寝入りでした。
2回目はホイチョイ・プロダクションズの『OTV』。友人に貸したら帯を捨てたとのこと。本の2/3を占める、ギャグの一部である帯をどうしたら捨てられるのか理解できません…。
そして3回目はここにも書いた甥っ子が大事にしていたマンガを「のど」の部分をグイグイやりながら読み捨てたもの。何だかなぁ…。
というわけで、2015年9月号で中野善夫のことを、本棚は感心するものの、心の中で貼った「本を少し触られただけで大騒ぎする心の狭い奴」のレッテルを剥がし、代わりに「こいつには本を貸さない」レッテルを浜本さんに貼ります。
本を何度まで開けるか、で180度の回答があることには驚きます。食べながらはもちろん嫌だし、蔦屋書店のコーヒー飲みながら雑誌や本、というスタイルも許せない。これが保守的とは思わないのですが…。
さてこの特集、面白いのは前半だけで後半は急激につまらない、かつ、くだらない。鈴木先輩の四十八手と本の匂いは丸々無駄。グッズ紹介も長すぎます。
都甲幸治おすすめの『屋根裏の仏さま』はつらそうな話し。第二次世界大戦直前に貧困の中アメリカに嫁いだ女性たちがいるらしく、その苦労とか。時代も悪いし、当然結婚相手も、土地も、何もかも嘘だし。うーん。
「伊藤計劃以後」が炎上ワードになっているらしい。ファンじゃないけど気分は分かります。『屍者の帝国』に至る流れは最高にかっこいいですが、映画評をまとめた本が出たあたりから疑問に思い始め、トリビュートだのアニメ化だのの宣伝が重なると …。嫌ですね。
北上次郎のお薦めからはどれも強い芯を感じます。作家と編集者の関係と現在の出版環境と真正面から対峙する『小説王』、同じテーマで恋愛小説の『ノヴェリストの季節』、国連の「ゲルニカ」に何故幕をかけたのかの『暗幕のゲルニカ』。
吉野朔実は雑誌「MONKEY」の紹介。近くの書店にずっと置いてあり、確かに目を引く表紙。「普段雑誌はあまり読みません」に続く言葉は私とまったく同じです。これが最後の吉野朔実劇場なんだよな、きっと。
入江敦彦の主張は「京都人でないと京都は理解できない」ですが(と言っているとしか思えない)、堀宗凡とのエピソードとか読むとそれも仕方ないかなぁと。
内澤旬子は毎度のスーツと靴と袖口を巡る冒険。今回がいつもと違うのが後半、結局おしゃれな男は少ないし、たまにいてもそんな奴は不倫しているに決まっている、という所で宮田、高野、杉江が喜んだ、と。私も同じです!
服部文祥は命とは何か。他者の命を奪い食料とする事実に悩むのは人間だけ、というところに始まり、では命とはそもそも何なのかをコンピュータの発達とともに触れます。SF ではありふれたシンギュラリティな議論ですが、背景に狩猟を置いたせいか妙に生々しい。意外と脈のある探索方向の気もします。
青山南は経営していたモーテルの天井に覗き穴を作り何十年も観察していた男の話。すでに「ニューヨーカー」でその解読が掲載されたとか。いやぁ、のぞき見趣味的に読んでみたいけど、きっと知らなければよかったというエピソードが満載なのでしょう。うぐ。
平松洋子はツボちゃんと早稲田界隈にて。ツボちゃんは早稲田の古書店だけでなく立ち食いそばも詳しいと知りました。
円城塔は経済学者の出産本。まずはデータだよと軽くそこらの出産論、育児論にジャブ。
筒井康隆の10冊を選ぶは大森望。文章から嬉しさが溢れています。