破滅派 第17号 特集「小説の速度」- 「アクション+距離=加速度」これだけで1000円の価値あり

投稿日: カテゴリー

破滅派 17号 / 1000円

特集は「小説の速度」。

冒頭に定義も何も置かれていないため、自分で「小説の速度」を定義するしかありません。で、私の定義は

展開が早くシーンや視点の切り替えが目まぐるしいのが速い小説、その逆が遅い小説。

松尾模糊がまとめたアンケートを見る限り、他の人とさほど違わないようです(ちなみに同じ内容でも、古い翻訳は遅く感じる、というのはありますね。大瀧啓裕と山形浩生の『ヴァリス』の比較とか)。これがどう肉付けされ、分析されるかは読んでみてのお楽しみ。

読み終えてみれば、過去の「破滅派」でもベスト級でした。作品も良かったし(特にJuan.B)、エッセイの流れも良かった。作家志望の人は最後の高橋文樹のエッセイだけでも買い。破滅派らしからぬ、文学の技術的な側面からの解剖、は大成功でした。

大木芙沙子「しゃべるのがおそい」

言葉の超遅いクピルナと、彼女に関してはせっかちな私の、嘘の重さで惑星がはじける世界の話。みんなは嘘をつかないように暮らしているが、私はどうせはじけるならクピルナと一緒の時がいいので彼女の前で大きな嘘をつく。

オパール色の目と声が印象に残る美しい小説。クピルナの「嘘」に、分かっていても泣いてしまう私がせつない。展開は速いがしっとりと読めます。
本筋ではありませんが、言葉の遅い子供を持った両親の心配と発せられた一語に爆発する喜びがいいです。

高橋文樹「歩いていると不意に殴られた」

僕とアゴちゃんはレンタカーで緑のタピオカを飲みに、鎌倉から静岡までドライブしている。

脈絡のない導入や強引な転換を批判していたのであろう保坂和志のパロディで書かれた小説。その唐突感がアゴちゃんの強烈な性格付けに利用されていて、とても魅力的でした。ちょっと距離が近づいたかなと思った瞬間の「呼び捨てやめろ」とかうまいわ。

「友情ともなんとも呼びようのない」絶妙で独特な関係性の空気感がよく、ずっと読んでいたい小説です。そういう意味では速いんだろうな。

Juan. B「マコとケイシーの海物語」

海の王子ケイシーは電話でマコを海に誘う。マコは弟のヒサ坊の写真と交換に、外出の許可を女官の定子から得る。

継承問題からゴシップまで一気に解決してしまう超高速な皇室寓話。相変わらずの危ない背景で始まった物語を、不思議なな感動にまで引き上げました。
天皇制の議論で男系女系が出てくるのはどこの馬の骨ともしれない人間の血を混ぜるわけにはいかないからだけど、そこに一般人、外国人どころか、染色体を69本持った「海の王子」をストーリーに絡めたアイデアが素晴らしすぎます。
内容に眉を顰める向きもあると思いますが、ここはマスコミや国民からおもちゃにされている二人への熱烈な応援歌と読みたい。「借り得ぬもの」の草井宮満子内親王同様、伝統や体制と戦う自由人には優しいJuan.Bです。これまでの彼の作品でベスト。読者を選ぶのが本当に惜しい。

曾根崎十三「ほんと愚図」

相原は人生で一度も肯定されたことがないまま育った。家では祖母がキチガイを連呼し、バイト先のコンビニではオーナーや客に怒られる日々を過ごす。

昔何かで読んだ「自分がバカだとわからないくらいバカに生まれたかった」という言葉が浮かびます。一見「遅い」小説です。何度も同じ祖母の叱責が繰り返され、「キチガイ」が連呼され、読むのが辛くなります。あまりに辛過ぎててラスト、欄干から飛び降りないで良かった、言葉が出てきて良かった、とはなりませんでした。

松尾模糊「阿鼻叫喚」

3年ぶりに帰省した笙子は伯母の昔語りを聞く。東京で働いていた伯母は現在未婚だが、当時は恋人もいたという。笙子は母と一緒に結婚に至らなかった理由を知る。

最初の1行が宙ぶらりんのまま、スローで無駄な描写が意図的に続けられます。どこに向かうのかわからないまま、伯母の彼氏の話を聞いているとジワジワと阿鼻叫喚へ。『統合失調症の一族』の紹介の中の、次に発症するのは自分かもと怯えながら暮らすくだりを思いました。

諏訪靖彦「吹雪の山荘密室消失雪密室四肢切断の問題」

井手は安斉と一緒にサークルの集まりのため、吹雪の山荘を訪れる。ホスト役の菱田とアンナ、招かれた6人の客の中で夕食後、口論が起きる。翌朝、揉めていた二組のうちの一人が、四肢バラバラの状態で雪の積もった庭で見つかる。

「速い」本格推理小説を目指した作品。珍しく私でもメインのトリックはわかったのは、短い中にもしっかりヒントを残していたのでしょう。とは言え細かい仕掛けにまでは気づけず「解決編」でおぉとなった部分も多々。ラスト1行もまさかそう来るとは!? 「カウンタックのガルウィング状の髪」に笑いました。

波野發作 x 諏訪靖彦「スピードの向こう側~速く書き速く読む作家たちによる、小説の速さについて」

超高解像度で小説の速度について語り合います。「ソースコードのまま発表された小説は遅く、コンパイルされた小説は速く感じる」や、Juan.Bの速度の軸、「歩いていると不意に殴られた」の速度とか、さながら今回の特集の種明かしのようでした。

偶然か意図的か、隣りにある『アウレリャーノがやってくる』の広告の3氏、佐川恭一、斧田小夜、大木芙沙子のコメントもそれぞれ素晴らしい。特に大木芙沙子の「体幹の強そうな男がこちらを見ている姿が浮かぶ」。作家の紹介は凄い。

大猫「今こそ世界の名作に突っ込んでみる」

『レ・ミゼラブル』『アラビアンナイト』『若きウェルテルの悩み』『アッシャー家の崩壊』『白痴』について速度で語る、素晴らしい読書ガイド。文句も逆に魅力に思えます。笑ったのが日本の作家の処女信仰に対する著者の罵倒。その脱線ぶりが、ユゴーみたいで面白い。

ところでラノベがお約束の上にスピードをあげているとありましたが、19世紀は逆にすべてをここで紹介する意義も目的もあり、自然と速度は遅くなります。『白鯨』も遅かったなぁ。

藤城孝輔「スローな映画も悪くない」

映画の速度の話。私の世代だとタルコフスキーと相米慎二が二大長回しの巨頭。アントニオーニも確かに遅いけど、緊張感のベクトルが違い、ちょっと別の遅さに感じます。また、ハリウッド映画の反対側にある「アート」作品への分かりやすい入門ガイドにもなっています。私見ですがこの手の映画は映画館でさほど期待せず観てたら意外といいじゃん…となるものであって、決してDVDで何度も寝落ちしながら観るものじゃありません。まして倍速視聴したら、大切な「機械が保存した時間」が失われてしまいます。
概念としての ASL (Averate Shot Length) はわかっても計測するのは大変そう(昔、馬場康夫が編集に冨田功を使う時の話題にカット数を出していた)。今の技術なのか、昔からあったのか。北村匡平『24フレームの映画学 映像表現を解体する』本体とその書評は面白そうだ。

工藤はじめ「『人のセックスを笑うな』論」

山崎ナオコーラの作品の書評。冒頭を瞬間移動するファンタジーだとこじつけ、山田詠美の選評「はなからわらえないんですけど」を下敷きに6回のセックスシーンを詳説し、最後は小説の家庭料理化とまで揶揄します。描写が速いのか、匂わせでしかないのか、読んでないのでどちらも判断できませんが、少なくともタイトルのインパクトだけはあるよなぁ(で、今回そんな話だったんだと思いました)。

鈴木沢雉「遅読派のための遅い小説と早い小説」

遅読派の筆者が、ラノベ2作(『涼宮ハルヒの憂鬱』『ソードアート・オンライン アインクラッド』)、ハインライン2作(『宇宙の戦士』『夏への扉』)を、ストーリー、プロット、描写、その他の観点で比較したエッセイ。引用されるハルヒの描写は確かに読者に思考を強いる感じ。一方の SAO は初読でシーンを描きやすく、良い対比です。ハインラインについては訳者の問題もありそうだけどな。新訳版かどうかとか。
筆者の、マンガの背景の「ワー ワー」も全部読むという偏執狂ぶりは理解できるけど、実践できないので尊敬する。なお「早い」は「速い」の誤字と思うのだが意図的なのかなぁ…。

高橋文樹「エエエアァクションンヌ! あるいは、小説をドライブする要素について」

ふみちゃんねるでも紹介していたフィルムアート社の書籍で得た知識をベースに小説の速度を分析します。出てくるのが速度を感じさせるための「加速度」とそのトリガーとなる「アクション」。ここまで散々「速度」を論じていながら、でもそれってエンタメ系が速く、純文学が遅いってだけのことだよねと思わせていたのに、加速度こそが重要と、「アクション」と「対象との距離」の組み合わせに分解し、具体例を挙げます。私がSFを好きなのも、この距離が遠いのを心地よく感じるからなのかと認識できる仕組みです。うわぁ、うまいけど、この位置はずるい。まさか最後の最後で、こんな親切で実用的なまとめを出してくるとは。この文章だけでも創作者には1000円の価値がありますね。
ちなみに「地球の植民地だった木星の衛星イオでエンケラドゥス人が一万人行方不明になっている」を遅く感じるどころかドキドキしてしまった…。界隈の共通認識(by 波野發作)のお陰です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です