春宵十話 / 岡潔 – 数学は人の心からとって知性の文字板に表現する学問・芸術の一種

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春宵十話/ 岡潔 / 光文社文庫 / 476円+税
カバーデザイン: 坂川栄治+田中久子(坂川事務所)

「スミレはスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだ」と数学を探求していた著者が「急に少しお話ししようと思い立ったのは、近ごろのこのくにのありさまがひどく心配になって、とうてい話しかけずにはいられなくなったから」。

知性の自主性の育った結果、 戦時中には学を楽しめたのに戦後のすさみ果てた人の心をどうしても見ていられなくなって宗教に向かった著者なので、現代人の顔や行動に動物性を観察し、初孫の将来を想像したときに居ても立ってもいられなくなったのでしょう。

春の野は、くにの中身たる日本的情緒であって、私たちは「私たちが幽遠の世から続いてきたこの美しい情緒の流れを悠久の後までも続けさせる使命を負っている」。そして人の中心は情緒であり、人は「動物性の台木に人間性の芽をつぎ木したもの」である以上、現代人の顔や行動に動物性をみる著者の批判は、自ずと教育、特に義務教育に向けられます。自論のゆっくりと時間をかけて思いやりの感情を育てよとは、緊張とそれに続く一瞬のゆるみが発見に必要な要素とするのと同じです。

また「一番心配なこと」は「心配しなければならないことを心配しないといういまの風潮」。自分の主張をただ受け入れるばかりの読者を「観念の遊戯」と呼ぶ強さよ。

数学に関する言及には驚きます。
「数学は人の心からとって知性の文字板に表現する学問・芸術の一種である。」とし「心のなかにその元があることは確かであって、自然から教わるべきものではない。」とか。自然に倣うのが普通の気がしますが、自分と対立構造にある「他」の存在でしかないようです。

ポアンカレーの「数学の本体は調和の精神である」を引いた上で「数学の目標は真の中における調和であり、芸術の目標は美の中における調和である。」「同じく調和であることによって相通じる面があり、しかも美の中における調和のほうが感じとりやすいので、真の中における調和がどんなものかをうかがい知るにはすぐれた芸術に親しまれるのが最もよい方法だと思います。」

最初は数学者の口述筆記と思って軽く読み始めたのですが知識の広がりは豊かで芥川、漱石、芭蕉などの研究した文学者だけでなく、漢詩、神話と幅広く引用されます。ところどころ除くユーモラスなシーンもいいですね。初孫のしつけに悩んだり、ストップウオッチで計時しながら連句したり、ポアンカレーが発見の喜びについて書かないことに対して「フランスの教育はかなり人工的になっていたとみるほかはない。」と断じてみたり。考え方に時代を感じる部分はありますが現代にも通じる批評眼に首肯しながらの読書でした。

これほどの緻密な文章はもういまではほとんど見られないのではという寺田寅彦「団栗(どんぐり)」は青空文庫で読めます。『近世美少年録 (近世説美少年録)』ってどんな BL だと思ったら曲亭馬琴の読本でした。

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