文春文庫からディーン・クーンツ『ライトニング』が復刊されました。25年ぶりです。
私はクーンツの作品であれば通常の長編、短編はもちろんのこと、アカデミー出版の超訳から『ベストセラー小説の書き方』『コンプリート・ディーン・クーンツ』まで、ほぼすべての作品を購入し、地道に出版日順に消化しているほどのファンですが、それでもここ最近読んでいる本のハズレぶりはとてもひどく、今日も『善良な男』でぐったりしているところです。
クーンツ元年の1989年当時に翻訳出版された作品にも出来、不出来で大きな波はありましたが、それはずっと以前に出版されたものや、別名義の書きなぐりのような作品も含まれていたためで、少なくとも「ディーン・R・クーンツ」名義(「R」が入る)であればここまでひどくなかったと思うのですよね、
それにしてもこの低調ぶり、ワンパターンぶり。ストーリーは巨大な資金源を持つ国家レベルの組織力を持った謎の集団が、不明の理由で主人公を行き当たりばったりに追いかけ回すだけ。中では低レベルの男女の掛け合い漫才が延々と続き(これは昔も変わらない)、地の文は限りなく形容詞が並ぶ行数稼ぎの上、最近はその量さえも減って、まるでト書きのようです。積ん読分の中にはオッド・トーマスやフランケンシュタインや講談社文庫の分厚いのがまだまだあるのに、最近は何冊読んでも同じパターンの繰り返しでは気が重くなります。
今でも瀬名秀明はクーンツファンなのでしょうか?
ところでクーンツ作品を指すにおいて、これは「ホラー」でなく「法螺」だ、という解説がありました。ファンなら納得の例えですね。正体不明の「何か」が起きており、その真相を探るだけで延々引っ張って、引っ張って、蓋を開けてみれば、「へ、これなの?」という法螺話。うまく着地する場合もあれば、無残に砕け散る場合もありますが、ただ、読んでいる間は楽しめることをお約束。ほとんどのラストが後者に属する中、『ライトニング』は比較的成功した部類の話ではなかったかと思います。しかし、これも何も前知識がない場合の話し。初版ディーン・R・クーンツ『ライトニング』の帯や登場人物紹介はひどいもので、「法螺」のネタをいきなりばらすという、クーンツ本で絶対やってはならないことをやっており、当時の書評でもその注意がありました。
今回の復刊では、そこらへんをきちんと処理し、解説もぎりぎりのところで避けていますので安心してお薦めできます。少し踏み込みの気もしますが…。で、この解説者が、北上次郎です。
25年前の北上次郎は「本の雑誌」を始め、各誌で海外エンタメ小説系の書評を中心に活躍しており、特に冒険小説ジャンルにおいては開拓者にして第一人者。内藤陳と並んで男たちの世界を熱く語り、特にクレイグ・トーマスに対する高評価は印象に残っています。
パシフィカ版の『狼殺し』に始まり、80年代後半の『闇の奥へ』『ウィンター・ホーク』『すべて灰色の猫』と続いたオーブリー物でのガントやハイドの絶望的なまでの戦い。組織の中での孤の戦いを紹介して読者の期待を大きく膨らましたのでした。しかも、実際に読んでみればこれが文字通り手に汗握る興奮で、文庫の表紙はボロボロ、徹夜で読み倒すほどの作品なのでした。幸せな読書体験でした。
冒険小説にホラー小説を含むかどうかは難しいところですが、少なくともハヤカワ文庫はモダンホラーセレクションを含めNVでしたね。で、その一環だったのか、当時、北上次郎が絶賛したのがディーン・R・クーンツの『戦慄のシャドウファイア』。爬虫類と化した科学者が嫁さんを追いかけ回すだけの作品ですが、スピード感や緊張感の持続はまさに冒険小説。彼の絶賛ぶりが、後のクーンツブームに与えた影響はとても大きく、私もその書評でクーンツ元年に巻き込まれ、何冊もの書籍を購入することになるのでした。
それから25年。北上次郎は今も「本の雑誌」で連載しています。
自分自身の影響力を意識してか、すでに大家となった作家より、新人や無名の作家を取り上げ、技工力の向上に目を見張り、話しの巧さを絶賛し、膨大な読書対象の中で抜け落ちた過去作品を含めて丁寧に目を向けつつ、近い将来に花開くことを願います。そこには書評家が作家を育てる強い意識を感じます。多忙にもかかわらず、未読の作家に対して「私は某の良い読者ではなかったが」と真摯に取り上げる姿勢も素晴らしいものです。
ただ残念ながらその書評の対象は、海外エンタメ系の作家ではなく、日本人作家、それもミステリーでもSFでもない、普通の小説や時代小説の作家なのでした。この間、少なからず関係したであろう「本屋大賞」は大きく成長し、直木賞も変わりました。偶然か必然か、北上次郎が日本作家に傾倒するに従い、日本の小説が元気になったように見えます。
対照的に、海外のホラー小説を含む冒険小説は、キングやクランシーといった一部の固定ファンのいる作家を除いて、すっかり寂れたジャンルと化してしまいました。クレイグ・トーマスは亡くなり、クーンツは弛緩した作品を書き続けています。時代の変化もあったのでしょう。それは戦後数十年が経過し、現代という舞台に敵を見失って低迷したマクリーンのようです。
ただ近年、冒険小説に少しづつ変化は見えていました。ヒギンズの復活はなさそうですが、ル・カレは元気ですし、バー=ゾウハーといった伏兵が『ベルリン・コンスピラシー』で復活しました。新潮文庫の白背が『チャイルド44』や『ユダヤ警官同盟』を産みました。
そしてここに登場したのが「21世紀に突如舞い降りた冒険小説の神」とまで讃えられるマーク・グリーニー。それまで書評家にも読者にも無視されていたクランシー作品に新たな息吹を吹き込み、単独作でも大成功。第2作『暗殺者の正義』の解説では、北上次郎が登場し、全身全霊で称賛し、最後の一文では古いファンの魂までをも熱くたぎらせ、25年前が戻ってきたかのようでした。これがアクションだ、と。
そしてクーンツです。しかも、最近の「ディーン・クーンツ」作品(「R」がない)でなく、25年前の作品の復刊という、まるでヒギンズが舞台背景を過去に求めたかのような展開です。最近の作品を全否定してしまっては、新刊が出せず、書籍販売の戦略としては危険な気もしますが、なーに大丈夫、次に『ウォッチャーズ』を出すだけです。
25年間、元気に第一線で活躍する書評家に対して「復活」はありませんが、終始海外エンタメ系の読者であった私には、やっぱり戻ってきてくれたと映るわけです。
今後、北上次郎がどのような活躍を見せ、冒険小説がどのように賑わっていくのか楽しみです。カッスラーもフランシスも共著者が活躍しているようですし、往年の作家であれば埋もれた傑作を復刊していけば(『シンガポール脱出』や『革命の夜に来た男』はいかが?)必ずや冒険小説も夏の時代を迎えると思うのです。期待しましょう。