デューン 砂漠の救世主 [新訳版] / フランク・ハーバート / 酒井昭伸訳 / ハヤカワ文庫SF 上下巻 各840円+税
カバーイラスト: 加藤直之 / カバーデザイン: 久留一郎デザイン室 / 制作協力: Art & Antiques LECURIO
Dune Messiah by Frank Herbert, 1969
ポールが皇帝となり12年。フレメンの戦士らは宮廷政治に明け暮れ、一部は謀反を企てている。トレイラクス会士でフェイスダンサーのスキュタレー、ベネゲセリットのモヒアム、ギルド代表のエドリック操舵士、ポールの妻イルーランは共謀し、ポールの排除を試みる。
ギルドはアイダホの死体から復活させたヘイトを贈り物とする。
司祭女として崇拝の対象となっている妹アリアはヘイトに惹かれる。
ポールはモヒアムにチェイニーの命と引き換えに、イルーランを人口妊娠させる申し出をする。
スキュタレーはオシームの娘に化け、チェイニーを誘い出すが意図に反してポールがオシームの家を訪れ、矮人のビジャーズを引き取る。謀反人達を襲撃中、核兵器ストーンバーナーの攻撃によりポールは被爆し、視力を失う。
ヘイトはトレイラクスの衝動脅迫に克ちアイダホとなる。
チェイニーは双子を出産するが死亡。スキュタレーはチェイニーとビジャーズをヘイトを成功例として、チェイニーのゴーラ化を申し出るが、ポールは誘いに乗らず逆に殺される。
ポールは砂漠に消える。アリアは謀反人を殺害し、アイダホを愛する。
前作以上にスケールが小さく、宇宙も砂漠もほぼ出現せず、どこの世界でも通用しそうな四畳半陰謀ドラマが展開されます。が、これが意外と読ませるし、アイダホ / ヘイトを送り込んだ理由もなかなか説得力があります。予知が可能なポールの対抗としての操舵士の配置も面白いし、予知できながら、他の平行線の結末よりはこちらがましと、運命に従う部分も面白い。
ただねぇ…。ポールの圧倒的な内省(上巻 p.134)、なぜこんなことになってしまったのかという怒りと驚き(下巻 p.80)、運命や聖戦から逃れられない自分の苛立ちと諦めと悲しみとか、色々あるんだけど、どうも気持ちがこもらない。チェイニーへの愛もちーっとも感じられない。なんかうわべだけみたいな…。なんだろうね。
と思ってたら訳者あとがきのタイトルが「二十世紀のシェイクスピア」。あー、上手いわ。そう、この空虚感、ト書きを読んでいる感じがまさにお芝居。壮大な背景と悠久の時間線の中でただウロウロと動き回る役者たち。あとがきではそんな皮肉で言っているわけじゃないけど、個人的にしっくり来ました。
で、ブライアンの序文と訳者あとがきを今読んだけど、うーむ発表当時もやっぱり「これは違う」と思われたのだな。だよなぁ…。ドゥニ・ヴィルヌーヴがこれをどう映画化するのか期待半分、恐れ半分。次作『砂丘の子どもたち』への期待半分、恐れ半分。